自転車運転の免許制とマニュアル至上主義の弊害

「いい加減くらいが丁度いい」(池田清彦著:角川新書)という本を読んで私も著者と同世代なので共感するところが多い。「ダマシ、ダマシ生きる」なんというのは実にうまい表現であり、日頃、私も感ずるところである。それなりに歳を取っているからなのであろう。体が思うように動かないとか、時にはケガや病気にもかかる。このようなときは原因がはっきりわかり生死に影響がないとなれば、あとは適当に治そうという気にもなる。もっとも、これは私だけかもしれないが・・
 
ところで、同書で「自転車運転を免許制にせよ」という項目があったので自転車愛好者として一言。
 
確かに最近は市街地での自転車と歩行者の事故が多い。それは自転車の多くが歩道を走行すること、乗る者に自転車が危険な乗り物であるという認識があまりないことも無関係ではあるまい。両手でスマホと飲み物を持って乗っていた女子大生が高齢の女性とぶつかり死に至らしめたのは記憶に新しい。自転車は自動車のように教習所に行って免許をとらなくとも小さい時に乗り方さえ覚えれば免許なしでいつまでも乗れる。交通ルールは一応あるのであろうがどうしても軽視されて機能していない。そのため自転車も免許制にしたらどうかという話が出るのはもっともなことである。
 
これは自転車専用レーンがない日本の道路事情にもよるが、ただ専用レーンを設ければ解決するというものでもない。要は乗る者のモラル(マナー)の問題だ。ともかく歩道を走れるとなると前に歩いている人がいてもそのすぐ脇を邪魔だと言わんばかりに車道のように突っ走る輩もいる。これが危ないのだ。
 
そのようなことを考えると、私は自転車も自動車ほど厳格にする必要はないがゆるい免許制にしたらどうかと思う。「ゆるい」というのは例えば免許申請には自転車にさえ乗れれば条件なしで免許を与えるということである。ただ同時に違反点数制を採用して交通ルール違反を何回か繰り返したら点数に応じてペナルティ(罰金)を課し、ひどいのには免許を取り消す。そして再申請には所定の講習を受けさせるようにすれば少しはルールを守るようになり、事故も減るのではないだろうか。
 
また、「ルールと秩序」というタイトルの下に「決まりだけ守るのはアホ」という項目があり、そこには2018年4月4日に京都府舞鶴市で開かれた大相撲の春巡業で、土俵上で挨拶していた市長が突然倒れる事故があったが、それを見た数人の女性が土俵に上がって救命活動をしていたところ、土俵から降りるようとの場内アナウンスがあり、これが巷で人命軽視、女性蔑視ではないかと非難されたことが書かれているので、これについても相撲ファンの一人として一言。
 
女性を土俵の上に上げるべきか否かは、大相撲の長い歴史からくる慣習と男女同権の問題が絡むので複雑である。アナウンスした行司さんは日本相撲協会のマニュアル通りに行ったと説明しているが、これなどはまさしく悪しき慣習にただ従っただけである。相撲はそもそも男だけの競技であるという古い風習からこのような慣習が確立し、いつの間にか相撲協会の規則になったのであろう。女子禁制である。
 
しかし、男女同権が叫ばれて久しいし、女相撲だってある。それよりも今回のようなケースでは何よりも人命が尊い。マニュアルは時代にそぐわなくなっているのだ。その後に至っても何も改革の動きはない。私には相撲協会が頑なにこだわる理由がよくわからない。人が倒れ、その命が危険にさらされているときにまで、マニュアルを強制すべきではないと思う。